HHM講評/香瀬
という作品は成立しないのだということをあらわしており、こひも氏は文体・口調の不統一を、読者にユーモアとして受容させるためのギミックとして情報文を見ています。
後半で述べられている、膨大な情報元から読者はそれぞれの経験を対応させて読むこと、言い換えればユーモアを担保するためのギミックとして設置されていたノイズを、自身の経験と照らし合わせて「情報の連なり」を構築していくことというのが、こひも氏のいう読解なのでしょう。前半に述べられていた、文体の不統一ゆえのユーモア/引用元の情報文が、作品内容とどのように対応しているのか、という点は個人的に食い足りなかったのですが、自身の態度表明ののち、実際に「
[次のページ]
戻る 編 削 Point(7)