HHM講評/香瀬
離れているのかもしれませんが、この投稿作にこめられた熱量は間違いなく本物であり、その熱量はただがむしゃらに放散しているのではなく、ひとつの目的のために費やされている、というcaseの見解には同意していただけるものと思います。
葉月二兎「papilibiotempusolare-loremipsumanniversarium」を読解するための澤氏の総力戦。その読解対象である葉月氏の作品には、安易に見て取れる物語的な可読性はほとんどなく、揶揄的に言えばゲンダイシ的装いであります。そうした、読解そのものを拒んでいるかのように見えるスタイルへ偏執的にアプローチする/し続ける氏の読解の姿勢は、投稿作
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