HHM講評/香瀬
 
に照射し、作品を別側面から見てみよう、と、そんな試みであるように思いました。男女の営み、つまりセックスしている最中や事後の情景として作品を眺めることが、広田氏の言うような詩の多義性、つまり、情報量が多くない詩が備える読者が想像できる余地の重要さを示しているものと思われます。

 また個人的には、「猫」では尻尾と三日月を男女の性器とみなしているのに対して、「月夜の浜辺」では「放られ、捨て置かれたボタン」というガジェットから、荒々しく扱う/扱われるという性差を読み取った点が興味深かったです。批評対象を更に列挙して既成の読みをエロさで読み替えて見せたり、既成の読み方としてどういったものがあるか先行研
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