僕が思う現代詩と合唱の関係について(3)/赤青黄
 
曲もまた
それに答えるかの如く熱量を発していた。
三十何人かの先輩達が弾き出す詩とハーモニーの
プレッシャーが「生」でガンガン飛んでくるのだからたまったものではない。

そして僕はこんな体験をしてしまったら「合唱」の概念を変えざるをえなかった。

これが、僕の合唱に対する「偏見」が消えた瞬間までのおおまかな流れだ。

だが、僕と同じこんな体験をすることができる人は、そうはいないだろう。

僕の入った学校に偶々混声合唱団がありその新入生歓迎コンサートで偶々歌われた曲
に感動したからこの偏見が無くなったのであって、これらのことが無かったら、
僕は将棋部か文学部に入って「ああ、合唱ねアハハハ」になっていたに違いないのだ。




そして、これと同じ現象が「現代詩」でも起きているのである。





区切りがいいので今回はここまで

*次回は現代詩へ起きている事態に合唱がどうからんでくるのか
書いてみようと思います。

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