流行/葉leaf
、子供たちがボール遊びをしていたのだった。だが私が特に記憶しているのは、その子供の着ていた服である。それは、黄色と黒のチェックのシャツで、その当時流行っていて私も着てみたいと思っていた服だったのだ。それは、少年の移ろいやすく憧れやすい心が、同じく移ろいやすい流行と同期して、少年が忘我の快楽に没入した瞬間だった。少年にはまだ確固たる自我がなく、それゆえ、流行によって自我の欠落が補填されたのだった。まるで行き所のない流水が何かの容器の中に居場所を求めるように、私はそのときその服を着たい憧憬により瞬間に固定されたのだった。
多年を経て、今の私は流行に揺るがされるほど自我が弱くない。流行と自らの流動性が重なり合う快楽をもはや感ずることはできない。だが、その快楽の記憶は、私の自我の裂け目、そして何か、集団的熱狂へと開かれていく私の中の秘められた回路として、存在し続けている。個的な忘我しか味わうことのできなくなった私が、記憶の中でだけ、集団や社会と忘我を共有することができるような気がするのだ。
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