「良い豆」考/深水遊脚
の多くは、雑味や渋味などのネガティブな味をいかに出さないか、ということを考えたものです。それが基本になってしまえば、どのような素材にもネガティブな要素をさがしてそれを隠すような考え方が、お手本として刷り込まれてしまいます。直感で捉えた作品からくる感慨を表明するよりもあら探しが先に来てしまうような批評の間の抜けた感じに、どこか似ています。苦手な味も含めてすべてを受け入れて、無防備でも最後まで楽しめたとき、それが私にとっての良い豆なのだと、いまは考えています。
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