リルケから若き中島敦への手紙/すみたに
れて良いのだろうか?
例えばニーチェの『ツァラトゥストラはかく語りき』を思い出すと、
そこには獅子や鷹、蛇が出てきて、
龍=汝なすべし、に対して獅子=我は欲す、へとなるべきだと述べられていた。
そして龍の牙を抜き、
蛇としまえば良いという事であろうか。
この換喩としての獣たちは、善悪の彼岸に立つツァラトゥストラに追い従い、
人間よりましな存在であったはずだ。ならば虎はどうだろうか。
虎、まさにこれもまた龍と争う意志の表れではないのか。
そして、
人間であった頃の李徴は乗り越えられるべき存在として、
消え去ろうとしているのではないか。
なぜな
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