時間と光/木屋 亞万
規定されざれるを得ない。
時間、空間、人間をありのまま受け入れようとする在りようは、その規定からの解放を願う行動であり、時・空・人の三概念の流れを分類し、操作しようとする志向からの脱却である。川の流れを堰き止めて川を知覚しようとするありようから、川の流れに身を委ね川とともに流れる有り様へと変わっていきたいという願いだ。逆に、人間の中で人であろうと強く願うことは、流動への断絶であり、流れを堰きとめようとする行為である。流れは堰きとめようとするものに負荷をかけ、いずれ押し流してしまう。時間から時を切り取ることも、空間から光を抜き取ることも不可能である。人は光になりたいと願うけれど、人が人間という間の存在の断面である以上、人は光であり続けることはできない。人間は人として人と人の間を流れ、光のように時に特異性をもって輝くものもあるが、輝きという刺激は持続せずすぐに流れ去ってしまう。輝かぬものこそ普遍であり、人間とは往々にして連綿とつながり、規則性を持ち続けるものなのである。
戻る 編 削 Point(3)