【批評祭参加作品】大手拓次のこと/佐々宝砂
 
この奇妙で幻惑的な言葉をただ味わえばいいのだと思う。

 彼の口語詩は、現実の彼の生活とほとんど関わりがない。彼は家族をうたわないし、自分の出身地である群馬のこともうたわない。恋人は登場するけれど、常に「まだ こころをあかさない」存在で、「おまへ」と呼びかけられるのは現実の誰かではない。大手拓次はひそかに同僚の女性(新劇女優山田安英)に憧れていたと研究者は言うが、そのプラトニック・ラブを彼が詩に託したとしても、「おまへ」は山田安英ではない。

 大手拓次の詩は、さけばない。それはしずかでうつくしい。玄妙な音楽か、慎重に織り上げられたやわらかなビロードのようだ。そこには現実のアクがない。

 大手拓次と同時代の詩人たちは、現実の女性と問題を起こしたり、生活と詩のバランスをうまくとれずに経済的逼迫のなかでひいひい悲鳴をあげたりしていた。彼らが月に叫んだり重たい憂鬱に拘泥したりわかりやすい愛にのめりこんだりしてるあいだに、大手拓次は、下宿の密室でひとりうつくしい詩をつくりあげていたのである。

(2000年ごろ書いたもの)
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