通路としての文学/葉leaf
文学作品は完結していない。それは読者の推定によって補われることで完結する。そして、その推定に際しては読者のバックグラウンドが反映されるから、推定によって完結する作品の中には当然読者の在り方が反映される。
これはおおむね「受容理論」と呼ばれるものである。この理論については、結局、文学作品が読者のスケールの中に閉ざされてしまうことを明らかにしたものであるなどといわれる。だが、私は、文学がまさに読者のスケールの中に閉ざされることに、積極的な意味を見出したい。
一言でいうと、文学作品は、読者が自らの人生を反省的に生きなおす通路としての機能を果たしている。もっと正確に言うと、単に反省的なだけではな
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