【批評祭参加作品】いるかのようにかわいそうなわたし/佐々宝砂
 
き付ける」という言葉があるからこそ、「ひかり」が「いたさ」に直結して感じられます。

 私は、いるかの次の姿を見たいと思います。見世物として売り飛ばされた小川未明の人魚は、なにもできないかよわい存在であるようにみえて、実は恐ろしい存在です。海辺の小さな村を、自分を育ててくれたおじいさんおばあさんを、人魚は呪って滅ぼしてしまいます。本来住むべき海を出て陸に住むことになったいるかは、たった一回しか使えない「すいとう」を、いつかはからにしてしまうでしょう。なみだもいつかは枯れ果ててしまうでしょう。そのときいるかはどうするのでしょうか。

 それは、きっと、この詩とは全く違うおはなしになるのでしょう。

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