詩を書くということ/三田九郎
 
に、そういうことが「好き」ではある。探検し、挑戦し、最終的にかたちにしようと格闘しているときは「楽しい」ことも確かだ。だからやっぱり、一応趣味ではあるのだろう。でも簡単には人には言えない。

(追記)

 この探検、挑戦、格闘がうまくいくことはほとんどない。永遠にありえないのかもしれないとさえ思う。でも、探検し、挑戦し、格闘しているというそのこと自体が「好き」で「楽しい」のだ。

 できあがった詩の出来がどうか、はほとんど問題ではない。詩の喜びは、詩を作り上げるまでの精神の揺らぎ、その揺らぎを感じながら書いている、まさにそのときに最も深く感じられるものなのだ。

 詩作品それ自体にそれほど意味があるわけではない、と思っている。もちろん、誰かに何かが伝わればうれしいのは確かだけれど。
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