続・田村隆一詩集 現代詩文庫を読む/葉leaf
 
さて、「栗の木」をもう一度読み返してみてください。ここには、倫理性も、矛盾も、異化作用もほとんどないことに気づくでしょう。つまり、田村はバーの成立の経緯を何の障害もなく、つまり垂直性に直面せずに、ただ漫然と思い出し、また、現在の日常的感覚を、これまた何ら垂直性に直面することもなく漫然と語っています。「栗の木は」その意味で極めて水平的な詩なのです。中期から後期に向かっていくにしたがい、田村の詩にはこのような水平性がどんどん現れていきます。佐々木幹郎は、「肉眼へ向かう感性の反乱」という対談の中で以下のように語っています。

「腐敗性物質」までは、水平的な資質にもかかわらず、垂直的な人間への憧れがあ
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