後の正面/yuugao
 
どんなに内向きになったって
うしろの背中が見えるわけじゃないから。

矢印を使われてしまえば
自然と「矢印」しか見えなくなる。

木が立っていることを信じなければ
何処へ行っても生きてはいけない気がする。

「スケールを信用していない」と言うのは建前で
ただそういうふうに「なってしまう」の「しまう」だけが本心。

遊びの度合いを忘れたら
今のここへ帰ってこれなくなりそう。

補うものの裏打ちが通用するのは
それを補っている(自分)のみ。

(自他)単位に飲み込まれていく「自己」の唯一の救い(巣食い)は
「救いようが無い」と言えてしまえるところ。

膨らんだ「自己」たちは
膨らんでいくことによって「自己」を見つけてる。
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