柳の木の下で/天野茂典
(柳の下に泥鰌(どじょう)はいないという
泥鰌鍋を食べたことはないが
寿司屋だった私の父は生きたまま
泥鰌を丸呑みした
子供心にびっくりした
わたしはいまだに生ものが食えない
活き造りなどまっぴらだ
生臭くてしようがない
父はどうしてできたのだろう
大人は凄いなと思った
大人になったら誰にもできるのだろうか
大人になったわたしはまだ踊り食いなど
おもってもみない
寿司屋の後をつがなかったのも
高校受験で失敗し雀のように帰ってきたとき
父の割烹着にコハダのうろこが一杯ついていて
その匂いが人生最初のショックにむすびついていて
忘れなかったからだとおもう
泥鰌はいまごろどこにもぐっているのだろう
父が飲んだ泥鰌の骨はどこに葬られているのだろう
父が愛しい
泥鰌が愛しい
わたしもいつか泥鰌鍋などつついてみるか
いつも柳の木の下に
高価な泥鰌はいないのだ
2004・12・09
戻る 編 削 Point(1)