読書について/深水遊脚
 
を否定しているのだから。このことは引用部分のあとでしっかり述べられている。著作者としての能力と読書との関係についてや、文字にできる物事に限界があることについて述べた部分も、読書という行為を考えるうえで大いに刺激になる。

 所詮は間接的な体験に過ぎないし、ひとつの刺激に過ぎない。そしてほかの間接的な体験や刺激との優劣はない。それだけでは限界があるけれど、間接的な体験や刺激がもたらす変化は小さい場合も大きい場合もある。読書について私はこのように考えている。読書という営みが「知識の借り物競争」に留まっている限りは、それは娯楽であり、ほかの娯楽と変わるところはない。読書という行為がその人の内面にいかなる変化をもたらしているかについて、「知識の借り物競争」の観客には、誰一人例外なく、それを見極めることはできない。
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