大衆の死角/番田
会社の中で長渕剛の歌を流していた。だけど、誰一人として耳を傾けている人などいなかった。なぜ、このようなことになるのだろう。人間の情念のようなものが、人に理解されないのはなぜだろう。暗いからだろうか。しかし、桑田佳祐の社会批判の曲が理解されるのは何故だろう。内容がどうであれ、人の望むイメージのようなものがそこにはあるのかもしれない。それなら、聴くこと自体に意味はあるのかと問いただしたくなってくる。僕は社会主義国家に憧れている。そういった差別を完全に無いものにする最善の方法であるからだ。
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