推敲の無い文/番田
好きか嫌いかでしか仕事ができないたちだった。特に見ているものを信じられたためしはない。僕は、そのままだったのかもしれない。今日もネットにアップするための文をつづっている。誰のことも信じていない。ディスプレイの向こうには、いつも、アメリカの風景が広がっている。僕も分厚い文化で守られたような国に生まれたかった。つまらないものでかためられた国の中ではなく。窓を開ければ街はとてもきれいだった。五反田に引っ越してきたのは正解だったと思う。五反田には住宅街は無いから、僕は一日中労働者でいられるのだ。いつも好きか嫌いかということでしか、誰かと話をできない僕。良いことなのか、悪いことなのかは感情の中でしか判断
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