おかえりなさい。わたしは彼の内腿へキックを放つ/鈴木妙
二枚重ねて噛んでいたらやがてひとつの有機体になって吐き出すか飲み込めば口のなかからは消えてなくなり、触感の記憶は残っても触感じたいはもう味わっているわけではないようなもので、既に「佐伯さんの不在」という一個の観念は対象として外から眺められるようになっており、彼がいないという直接的な実感は、なくなっている。
それがこれからの人生においてどのような作用を及ぼすのか。わたしは「いつまでもにこやかでいよう」と書いて、彼が決意や努力目標をあるページではまとめたのかもしれない血だらけのノートの別のまだ開くページに上から貼り付けたのだ。だからそれが「美加にやさしくする」のように働いて、どこかの岐路において笑顔へと続く道を選択させてくれるのかもしれない。まあ、見てみようじゃないか。
トンネルに入る。
やっぱり。
いまもわたしは微笑んでいたのだ。
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