絵画鑑賞法/番田 
 

ミロとクレーの絵はよく似ている。しかし、異なる感覚を受けるのは何故なのか。例えば、ベラスケスの絵は彼らのタッチとは全く異なるものであるが、ミロの感覚により近いものがあると感じるのは不思議である。つまり、絵画表現とは図像によるものではないのだということが容易に理解できるわけである。その仲間分けは中身によってしかなされないのかもしれない。それは、彼らに親交がなかったという事実を超えて、我々に確実に訴えてくる感覚によるものなのだ。

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