辺見庸『眼の海』を読む/石川敬大
 
して」いて、「生きていることが偶然で、死ぬことが当たり前」の世界に、「絶望という」ものを「深めてゆく」ことで、絶望から「這いあがる糸口になる」と、「彼(被災した死者)と同じ気持ちを味わおうと、行動や行為をなぞってみる」ことを思い立つ。そうすることで、「私(個的実存)が腑に落ちる内面を拵えることで」、はじめて「希望がうまれる」のじゃないかと考えるのだ。まさにあの場に身を置くことで、言葉が堰を切って溢れだしたのだろう、あのときの津波のように。あのときの津波に素手で抗うように。詩作品『死者にことばをあてがえ』は、詩作品『海を泳ぐ蒼い牛』とともに、まさに身近な死者の「行動や行為をなぞ」るように、鎮魂の歌を
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