器官なき身体の覚書/イリヤ
は対象を同時に全体として把握し、靴下を膣に、傷痕を去勢に、というように欠損をエロティックなものとして翻訳する。例えばダリは錯乱を表現するために犀のツノについて雄弁に語るが、それは神経症的言説から全く逸脱のない論理構造をしている。だがもし、ダリが皮膚の毛孔を犀の小さなツノとして捉えはじめるのなら、私たちはそこに狂気を感じることになる。ダリの文法はフロイトによれば至って論理的な神経症的翻訳がおこなわれていると言えよう。ミクロな論理により微小な水疱はツノに“なり”、ツノは小さなファルスに“なる”。無意識にモル的な統一性を見いだすと彼のお馴染みの公式、“パパーママー僕”のオイディプス図式が出現する。フロイ
[次のページ]
戻る 編 削 Point(3)