萩尾望都私論その1 まえあがき/佐々宝砂
人間以上』などで描いたような半端者ゲシュタルトの部品である個人は、本来動的に生き、成長し、老いてゆくものであるはずで、スタージョンもそのことには気付いているから、「シシジイじゃない」で描かれる「つくるもの」と「つくられるもの」の夢のような恋愛は、「つくるもの」の成長とともに崩れ去る。「つくられるもの」が「つくるもの」の期待に応えなかったので、捨てられてしまったのだ。『人間以上』で描かれる半端者ゲシュタルトはその逆で、ゲシュタルトとしては超人的に成長してゆくが、個別の部品はたいした成長を見せない。半端者は半端なまま、ひとりで生きてゆくことはできない。
私は、ここらあたりにスタージョンの限界があ
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