III Autrement qu'être ou au-delà de .../イリヤ
私たちの諸言語は存在するという動詞を中心として織りなされている。だが、私たちの諸言語は、いかなる王権よりも強く、また、廃位することもない存在の王権を単に反映しているだけではない。そうではなくて、私たちの諸言語は存在のこの王位そのものなのだ。*3
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存在が否定されたあとにのこる、空虚な充溢に病んで、君の春はいよいよ花開いて、消えてはあらわれる僕らの影を追いながらまわる日時計の午後を、白いペンキで塗られた団地のドアが開け放たれて六次元が入れ替わっている。ながらく言葉に生かされてきたがために、見えなくなったおぼろげな色彩や機微に、空白があくびをしながら休符を記されてゆく、というのも、病室の窓枠にさえ鳶色をした自由が標榜されている青年期の僕らの、裏打ちされた幼少が、きらびやかな疎外のうちに奪還されてゆくから。
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