ライブ・ハウス/
天野茂典
ココロが純粋であるということは
ヒバリが空を舞うように
ひとつの高さを持つことだ
ココロが純粋であるということは
緑を緑といえることだ
山桜の樹液のようにいつかはぱあっと咲くことだ
ココロが純粋であるということは
垂水の上のわさびのようにつううんと利くものなのだ
ココロが純粋であることはガラスのように
透明であるということなのだ
純粋さから遠く離れていまのぼくはある
だから灯台のように夜中光っていなければならない
2004・11・26
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