現代詩で鼻をかむ話/KETIPA
 
やっぱり現代詩は文章だから、ちゃんと文脈を読んで理解出来るものでないといかんのだろうか。
とこないだ、ひさびさに現代詩手帖を読んで思った。

いつの間にか新人作品の選評が長々と数ページに続くようになったんですね。おれが見た号だけ特別やったのかな。なんにしても、普段は選者一人に一ページのものが、対談でだらだらと「この人のはこういう印象で良い」「よく理解できなかった」など、選者がどこをどう見ているかがある程度わかるように。

こういう選評自体は見るの好きなんですが、やっぱり「入選する詩」は、傾向としては文章が理解できるものでないといけないようで。文脈がむちゃくちゃだとダメだということでしょう
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