田村隆一論??フィクションの危険/葉leaf
 
なかった読者に非があるわけで、特に詩人が読者を騙しているわけではない。
(8)意味論的フィクション―言語行為的フィクション―ごっこ遊び的フィクション
 この場合、詩人は虚偽を特に真実でもないように語り、読者もそれを虚構として受け止める。これが最も典型的で純粋なフィクションであろう。詩人と読者に詩がフィクションであるという共通了解が生じていて、それを前提に読者は詩を鑑賞していく。

2.2.田村の詩のフィクション性

 さて、では田村の詩はフィクションであるのかノンフィクションであるのか。両者の中間だとしたらそれはどのようなフィクション構造・ノンフィクション構造を備えているのか。
 ま
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