生/m.qyi
 
書くのかしら)的なだけで。戦争でぶち殺されるなら、お話の種にもなるし、親族縁者周りの他人でさえも何かは思うだろう。石ころが落ちているとは思わない。
ところが、そこでは、白いシーツの上で俺まだ生きてるよなって思っている。
 物が死ねないのは言うまでもない。つまり、「無為に死んで見せれば死体の気分が分かる」と言われる社会だ。その社会批判はよくある。
 実は先日も「自分が死んだのも知らずに、40キロの速度で走る車で自分の死体を通り過ぎていく幽霊」の話を読んだ。構成のよく出来た話だった。しかし、僕が何よりも面白かったのは幽霊よりも「40キロの速度で走る車」の方だ。いかにもサスペンションの効いて乗り心地の良い高級車で、不思議な感じはするが、全然恐くないと感じている自分の方がお化けなのだ。
 こんな御託はもう言い尽くされている。しかし、それを自分の言葉で一人抗って語ろうとするhorouさんの散文はしばらく心の内から消えなかった。

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