殿岡秀秋小論/葉leaf
落とされて記憶の中に入り込む。だが、記憶として愛玩されるにふさわしいように歪められなければならなかった。「ぼくは黒い海に落ちていく」という詩行は、まさに、現在が記憶化する中で、現在から失われたものを、殿岡がその過去への愛情ゆえに新たにこしらえた詩行だと言えよう。つまり、彼が頬を打たれた瞬間には、黒い海に落ちていく感覚はなかったのかもしれない。だが、彼が現在に見捨てられ、過去が矮小化し、もともとの過剰さを失ったとき、せめてその過剰さを回復しようと、過去をゆがめ、過去を創作し、過去を愛するにふさわしく装飾しているのである。すなわち、過去の中に現在の視点からの修正が含まれているのである。
だが、現在
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