一片の瓦礫/yamadahifumi
ーーー人生の権利の行使の場面である生そのものがーーー終わってゆく。
僕達はいつしか普遍的なものを目指すことに慣れていた。気が付かない内に。人生とはーーー平穏な家庭、順風な社会生活、幸せな老後ーーーそんなものがあるかは知らない。かわいい彼女、優しい彼氏ーーーーいつしか、その「人」ではなく、その条件に合致する人、物事を求めていた。だがそんな人物や物事はどこにもない。テレビの中にしか。何故なら、それはやはり一つの夢であって、夢がどれほど現実と似ていてもそれは違うものだ。彼(彼女)は繰り返し夢を見て、それに見合う現実を探し、そして現実が夢と違うことに失望してこれを投げ捨てるだろう。そしてそれを永遠に繰り返すだろう。そして僕らは何一つ辿りつけず、徒労の人生ーーー人生を夢みた生を繰り返し続けるだろう。さて、僕はここで言ってみたい。どんな壮大な夢よりも手に入れた一片の瓦礫の方がーーーそのぬくもりがーーー実感の方がーーー大切であると。
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