一片の瓦礫/yamadahifumi
 
 僕達は不幸を目の前にすると、臆して、立ち止まり、ああはなりたくはないと思う。他人の不幸を目の前にすると、自分はああならなくては良かったと感じる。ところが、実際に不幸に陥った人は、それを傍で見ていたより不幸でも辛くもないことに気付く。傍で見て、苦痛だろう、辛いだろう、と見ていても、実際の苦痛はいつも予想された苦痛より少しだけ小さいのだ。そして不幸に陥った人はもはや、そこからーーー不幸から、傍で見ていた自分の姿に戻りたいとは思わないだろう。それは何といってもひとつの運命であり、それが不幸であろうと幸福であろうと(不幸は幸福から生まれる)それを所有しているという事に変わりはないのだ。今や彼は(彼女は)
[次のページ]
戻る   Point(0)