伏流、または地平について。/DNA
 


ポレポレ東中野で、『わたしたちの夏』という映画をみてから、きっかり五十日経っていた。その間、わたしは、毎日の生活を送り、詩を二篇書いた。ごく短いものを。

そうして、五十日後の十一月五日、今度は十三の第七藝術劇場で、ふたたび同じ映画をみた。

映画と伏線。この関係にはおそらく二つのものがある。ひとつは、映画のなかで示される伏線が、映画のなかで解消されるもの。もうひとつは、同じ伏線といえども、それがスクリーンを越えて、こちら側に辿り着いて来るもの。

この『わたしたちの夏』という映画は間違いなく、後者に属していると思うのだが、どうだろう。たくさんの支流が流れ込み、ひとつの大きな河
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