遺書にはならない足跡/セグメント
 
かもしれないが、自分が死んだ時に悲しんでくれるであろう人が存在するという、ただ一点の事実であり現実は、確実に私を深淵から救った。
 大袈裟と笑う人もあろう。だが、家族というものがいないに等しい私にとって、私の気持ちを汲んでくれ、私の喜びを自らの喜びのように感じてくれ、出来る限り私を優先し、愛してくれる人間に出会えたことは、私にとって至上の喜びと言うに等しい事柄なのだ。
 実を言うと、愛しているという言葉の意味は、私には判然としていない。喩えば、「食べる」という動詞は、「物を食べる」という意味だ。良く分かる。だが、「愛している」や「愛する」という動詞は、具体的にどのような行為を指すのだろう。世の
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