壁に囲われた国/番田 
 
カンヌ映画祭などを見てもわかるようにああいったものは作者に対して特権を与えために授与されるわけではなく、そのシーンの未来への盛り上がりに期待して与えられるものだからである。少なくとも海外の多くの祭典ではそうである。


そんなコンテストよりも知人や友人、2チャンネルなどの評価の方が批評家よりもまるで的をえているといったものだ。例えばアダルトビデオの評価など一体誰のものが正しいのかすらよくわからないといった世界と似ている。ああいったものは本当に個人の主観の方が真っ先に優先されてくるものだ。しかし友人はなぜああいった短絡的な考え方になってしまったのだろう。受験教育だとかが日本人に与えている影響は計り知れないのかもしれない。受験に必死になったところで、専門性がつくというわけでもないのだが。


日本人一人一人を取り巻いている壁はあまりにも高い。その塀によじのぼり、遠くの風景を望むことはできないものだろうか。イギリスは似たような島国だが、回りに壁があるという印象は薄い。我々はまず、外に出てから歩き出すことを始めた方が賢明なのかもしれない。


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