笑うカスタネット/m.qyi
 
脱させる場所を造っ
たとも言えることにもなるだろう。そして、生産のシステムが原理的に公的生活の中で営
なまれているとすると、プライベートな生活も残念ながらその生産システムによって造ら
れた世界によって囲まれ、結局は営まれていくだろうから、プライベートな空間もまたそ
の権利であるプライバシーも量的な社会の中に限りなく呑み込まれていくわけなのだろう。
労働が人間の属性であり、人間が質的であるとすれば、量的にならざるを得ない社会はな
んとも住み心地が悪いに違いない。個人というもの(個人を成立させる条件)があるとす
れば、これは人間性の剥奪の源泉であるかもしれない。

個人という考え方は
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