五十日目の日記/縞田みやぎ
り見る。揺れや津波の動画には身震いがするが現実だからしょうがない。日のあるうちに身が空いたらまちの中のまだ行っていない地域に出向く。自分の被害が軽かったからと現地にいながら自らを外部化して終わったことにすることができない。それらの行動は周囲にはあまり健康的な様子には見えないらしく被災地外から「精神的に良くないからやめなよ。」と言われるがしょうがない。いろいろ「何かさせて」と言われたが,僕への支援物資は正直何もいらないからもっと足りないところへ自分の力で何とかやってほしい。その仕切りまでやる余裕は僕にはない。家族やごく親しい人にだけ,時々話をする。それが仕事なのだが,僕が会いに行くと笑う子がいて,ほっとする子がいてその家族がいて,それしかできない自分の無力を家に帰ってから転げまわって何時間も泣く。泣き終わったら自分のために丁寧にお茶をいれる。また次の日は口に食べ物を押し込んで仕事に行く。
生き残ったのだから。
生きていかねばならない。
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