さらに どうでもいい話/佐々宝砂
いうと、自分に直接関わる問題でないからだ。知り合いの親の死の悲しみは、知り合いを通してしか感じることができない。メディアを通して知るドコカの国のダレカの死が、かなり「どうでもいい」のは、その死が自分にほとんど関係ないからだ。
何を当たり前のこと書いてんだと言うかもしれないが、私は当たり前のことを考え直すのが好きなのである。実は今ダンナが帰ってきたので、「どうでもいい」話も「どうでもよくない」話もどうでもよくなってしまい、晩飯を作らねばならない。晩飯は「どうでもいい」話ではない。人はメシを喰わねば死んじまう。
続きはまた書く。うすぼんやりと、見えてきたものはある。
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