どうでもいい話/佐々宝砂
 
のに、書きたいという衝動だけがある。こんなんじゃ吉田兼好と似たようなものだ。という一文は、自負でも自慢でもなく卑下である(なぜ卑下なのかわかんない人は、橋本治の『人はなぜ「美しい」がわかるのか』(ちくま新書)を読むこと。それを読むのが面倒な人は、きっと私の説明を読むのも面倒だろう。私も面倒だから説明なんてしない。「美しい」も「吉田兼好」も、どうでもいい人にはどうでもいいんだから)。

私は、十代半ばからしつっこく何かを書き続けてきた(「しつっこい」は「しつこい」を強調した形容詞であり、方言と言うよりは俗語。大辞林・大辞泉などにも掲載されている全国的な言葉。なんて実にどうでもいいわなあ)。しつっ
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