【批評祭参加作品】遊びごころという本気 ー辻征夫試論ー/石川敬大
略)があり、(略)不安な人間はそれをなんとかさぐりあてながら生きていて、そのためにごく自然に相手または第三者への気遣いも生まれ、礼儀作法も生じて来ると思うのだが、中原中也はこの微妙な筋目を見出すことが出来ず、悲しみのあまりにただもうらあらあ歌いながら人生を通過して行った人間のように思える。」(中略)「『私は私が感じ得なかったことのために、罰されて、死は来たるものと思ふ』という言葉に、かつてのダダさん、中原の到達点の深さを感ずるのである。『私も、すべてを』、全世界を感ずる者でありたいという人間にとって、この世の中での身の処し方など問題にもならなかった」中略をはさんで引用したこれらの文章に、下町で生きた辻の気持ちが色濃く表れている気がする。
それは、他人に対する気遣いができない弟でも見守る愛情あふれる視線であり、しがらみから開放されて「全世界を感ずる者」でありつづけようとした中原中也への強い羨望の気持ち、どちらもが辻征夫の内面に強く存在していたということなのだ。
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