ヒューム「ベルグソンの芸術論」(5)/藤原 実
に気づいてみよう。あるいは、こう言いかえてもいい。ノンセンスの言語は、センスの言語を反面的に支えているばかりではない。鏡の向こうからしみ出して、センスの言語の中に深く滲透してもいるのだ。」
(佐藤信夫「わざとらしさのレトリック」:講談社学術文庫)
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われわれがコトバの手足を存分にのばし、その真の健全さをとりもどすためにも、「戦後詩」の書き手たちが生き残るのに性急なあまり、投げ棄ててきてしまったものを拾い集め、現代詩の歴史を「装われた悲劇」の歴史から「途方もない冗談」の歴史へと、書きかえるのをこころみる必要があるように思うのです。
言葉の病いは疎外である。一方、言葉の遊びは異化である。詩人のたくらみは疎外としての言葉の病理を異化の遊戯へと顛倒せしめることにあろう。分析が袋小路に陥ったところから、詩はつねにペガサスの翼を羽搏いて飛び立つのである。
(種村季弘「ナンセンス詩人の肖像」:ちくま文庫)
[続く]
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