「碁を打つ女」から日本文学界の無意識な排他性に気付く/はらだよしひろ
する部分はあるけれども、あの時代の重さを微塵も感じないのは、作者の力量ではなく、作者がただその時代を創作の舞台として選んだだけなのだろう。
それは置いといて、まずフランス語を母語としない作者のフランス語小説を最高の賞に選ぶフランスの度量に感服。
日本じゃこんな事ありえない。リービ英雄というアメリカ育ちの日本語作家がいるけど、彼の名を知っている文学好きが果たしてどれだけいるだろう。
ちなみに芥川・直木賞を受賞した在日韓国・朝鮮人作家は結構いるけど、みんな日本語の方を母語としている。ということは、日本文学は日本語を母語としない人間を初めから排除している事に他ならない。
これじゃあ、国際化国際化とか言ってもうわべだけだよな。
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