ポチの消滅/テシノ
だったのか。
自分もやがては母と同じように、ポチと話す事ができなくなるだろうというかすかな予感だったのだろうか。
予定外にポチがいなくなってしまったため、私はその瞬間を体験はしなかった。
小学校に通うようになってから、我が家に一匹の子犬が迷い込んで17年間のさばった。
その犬が10歳の時にやはり迷い込んできた子犬が、今でも我が家にのさばっている。
今の私は、彼等と言葉を越えた何かでコミュニケーションしており、それでも特別不自由はなく、むしろ絆のようなものすら感じる。
しかし、彼等がふと私を見上げるその目の中に、時々ポチを思い出す。
恐らくは世界中の子供が、そんな風にしてポチの消滅を思い出すのだろう。
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