出遅れたお詫びと後ろめたさ/板谷みきょう
 
必要性から、デ・ニーロ扮する囚人は不道徳であるはずの意識的行為をも、かえって神父以上の真実と博愛を具現化してしまう結果を招き、人々の心に深い思いやりを広げていく。囚人二人共に後ろめたさを抱きながら、国境を越えるために神父に徹しようと苦心惨憺するその姿は、コミカルでかえって悲しく切ない。考えてみると“後ろめたさ”の自覚が、次々と起こる困難な状況で、どうし様もない自分の惨めな姿を、露見させていくのである。それ以上でも、それ以下でもない。あるがままでしか対応できない情けない程の自覚が、宗教的至高体験を経て豊かな人間性を見い出すという事実を気付かせてくれた《ろうあ》の少女に、私は強く感動し、そして惹かれる。
戻る   Point(0)