並木橋のひと/恋月 ぴの
 
思わず後ろを振り返ってはみたのだけれど

あのひとが握りしめていたのは果たして当り馬券だったのか

書を捨てよ町に出ようと寺山修司に呼びかけられ
それでも書を捨てきれなくて
簡易宿所の三畳一間でお酒に溺れた日々

馬券売り場から手のぬくもりが絶えて久しいように
自動改札を抜ければステンレス車両の鈍い輝き
並木橋交差点近くを流れる渋谷川は宮益橋からは暗渠となって

無明の奥底
遡ろうにも遡り得ぬその先で私達を待ち受けているもの

今となってはいくら目を皿のようにしても
天井桟敷の建物なんて並木橋界隈に見出すことはできず
あいも変わらぬ品の良さそうな人々を乗せたまま
東横線各駅停車は銀色の放物線を描いて軋む


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