言葉の世界論/番田
としたところで正しくはなくすでに無駄なことなのだ。その瞬間にわかる、それこそが正しいのかもしれない。例えば水をどこかで手にしようとしたところでそれをその場で手にすることができるはずはなく、そこで手にしようとさせられている川の水だけがそこで水自体となって、水のような自由にされた僕らは瞬間の中に支配され、あらゆるその場所で瞬間を考え、時間的瞬間の時間にある瞬間を出て行くことを、望んでいるだけなのだ。
すべては時間の中における瞬間のできごとである。水はそこに水のままで内包させられ、水流の中に流される泡のようになって流れ続けるように存在する。
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