「思い至らなさ」と想像力/はらだよしひろ
い至れない」のかはっきりと認識した上での発言である。そして、それでも「思い至れない」部分を想像する努力を父は続けている。普段の生活でもそれは感じる。
僕は容易に「理解しあえた」「分かり合えた」「向き合う事ができた」と言う人を信用できない。むしろ、「理解しあう」ことも「分かり合う」ことも「向き合う」ことも出来ないことが分かっていても、想像力を駆使する人間の方が信頼できる。
それに簡単に「理解しあえた」「分かり合えた」「向き合う事ができた」と言うことは想像力の放棄でもある。想像力を放棄すれば思考が固定化し、その範疇に収まらない考えや行動をする人間を排除しようとする。
人間同士は本来、互いに思い至れない部分があるから素晴らしい関係を作れると思う。なのにとにかく「理解すること」「分かり合うこと」「向き合うこと」が優先されて、結果的に想像力を失っているふしがあると思う。
戻る 編 削 Point(6)