これほど美しい悲劇を見たことがない/クローバー
 
背中が痛い
言葉を押し込めすぎた
そう言うと、男はその場にしゃがみこんだ
医者は、風邪でしょう、と
カルテに、片手でドイツ語を走らせながら
すこし、体調を崩されて、体が重いのでしょう、と言った
処方は、青酸がよい、と男は言った
それは、医者に求めるものではありません、と医者は言った。

錆び付いた階段を上る、音がする
金属製の、重たい鍵を扉に差し込む
立ち上がれないほどの脱力
男は、布団に潜ると、潜水艦のように眠った
背中が、痛い。

シェイクスピアだったろうか
薔薇は、薔薇という名前が無くとも
美しさと香りは同じまま、
ということを、書いていたのは
しかし、名前がなければ、
いったい誰が薔薇であろう何かを見つけられるというのだろう
名もなき花を、呼ぶことなど、できはしない。
忘れられれば、無かったことになる
その場限りの、香りも色も。

そうして、読者が男を忘れた頃
人の形をした土くれから、棘のある茎がのび
一つの花を咲かせた
アパートの一室、小さなこたつのそば
敷きっぱなしの布団の上に。
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