荒地にて2/徐 悠史郎
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さて、真摯に強烈に問い続けるという姿勢を堅持するというのなら、前回私自身が書いた次のような部分は、それこそ捉え返されなければならないだろう。
もちろん私は、北川のいう「修辞的共同性」一般が、例えば詩人会議の論客たちが
拘束されている「綱領や規約」と同じようなものだなどとは、口が裂けても言わない。
荒地派がその成り立ちから不可避的に獲得してしまったあれら「修辞的共同性」と、
なにか党派の<中央>あたりから回覧されてくるような性質の「運動方針」とでは、
その出自は、全く、根本的に違うものである。見た目ちょっと似てるような感じはする
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