【批評祭参加作品】失われた「鈴子」を求めて/香瀬
 
、それはたとえばこんな使われ方をしている。


毎回、変えてくる手が一条様式を高めていて、読後の一文が轢いていく力の大きさが昇華を確かにしている、という意見がありました。
(a-hirakawa・コメント「2009年3月選考雑感」「文学極道blog」、一条「RJ45、鈴木、」に)




{引用=
さすが一条様式の妙は魅力的で有無を言わさず掴まれてしまう、という意見がありました。ただ推敲前の方がすきだった、という意見もありました。一条さんの作品を読むと、突き放しかたが痛快だなーといつもおもう、自身をも突き放してるんじゃないかと時々おもうほど、音読するとなぜか気持ちよ
[次のページ]
[グループ]
戻る   Point(15)