【批評祭参加作品】迷子論序説/岡部淳太郎
の世界に踏みこんでしまったようなわくわくするような感じを伴ってもいたのだ。あの陶酔するような感じはいったい何だったのか? こうして昔のことを思い出しながら、それが気になり始めている。
迷子とは常に、それを体験する個人の精神的葛藤とともにある。それは客観的なものではなくどこまでも主観的であり、主体の脳(心と言い換えても良い)の中でしか展開されない。言ってみれば、幻影と同じ構造を持っているのだ。迷うことは基本的に人を不安にさせることはここまで何度も繰り返し書いてきたが、それでいながら時に人を陶酔させる要素を持っているのは、それが徹底して自らの脳内に展開されるものであるからだ。自らの脳内だけで展開さ
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